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大阪市の私立大阪偕星学園高校の硬式野球部監督で、元阪神タイガース選手の岩田徹氏(56歳)が部員に対して暴力行為を行ったことが発覚しました。
「生活態度等について生徒に指導する際、平手打ちや押し倒す暴力行為があった」というものです。
岩田氏は指導停止の謹慎処分となっています。
岩田監督は、自身の『指導の不適切さ』についての認識が不足していたと認めています。
岩田氏は技術的な指導だけでなく、生徒たちの私生活における指導にも熱心で、『野球人としての成熟した大人になってほしい』という強い願いを持っいるようで熱心に指導を行ってきました。
しかし、その熱意が行き過ぎてしまい、不適切な指導につながってしまったとのことです。暴力は絶対に許されない行為ですが、監督の真摯な人柄や生徒たちへの強い思いが背景にあったこようです。
ところで、この元阪神の岩田徹氏はあまり知られていないようですが現役時代どんな選手だったのでしょうか?
色々と調べてみたらPL学園出身で後の後輩巨人の桑田真澄投手との対決や乱闘騒ぎを必死で押さえたエピソードなども出てきました。
ということでこの記事は元阪神・岩田徹氏について現役時代はどんな選手だったのか、その成績やエピソードを紹介します。
【高校野球】元阪神の大阪偕星学園・岩田徹監督の暴力行為、同校関係者が事実関係認めた #高校野球 #kokoyakyu #baseball https://t.co/dJ0c9azObF pic.twitter.com/rV7aBNhArD
— スポーツ報知 アマ野球取材班 (@hochi_amayakyu) September 2, 2023
元阪神 岩田 徹氏プロフィール
岩田 徹(いわた とおる)氏は、1967年2月12日生まれの和歌山県出身の元プロ野球選手で、ポジションは捕手でした。彼の息子の名前は岩田凌で、ボートレーサーとして活動しています。
岩田 徹(いわた とおる)
出身地:和歌山県那賀郡打田町(現在の紀の川市)
生年月日:1967年2月12日(56歳)
身長:178 cm
体重:79 kg
選手情報
投打:右投右打
ポジション:捕手、外野手
プロ入り:1988年 ドラフト4位
初出場:1989年4月9日
最終出場:1996年10月9日
経歴
選手歴:
PL学園高等学校
三菱自動車水島
阪神タイガース (1989年 – 1998年)
監督・コーチ歴:
履正社学園
大阪偕星学園高等学校
大阪偕星学園高監督に元阪神の岩田徹氏が就任 : スポーツ報知 https://t.co/7PnFPwGTuy#高校野球
— 「報知高校野球」編集長 (@HochiKokoyakyuY) October 5, 2021
高校時代 春夏の甲子園で準優勝
高校時代、PL学園高校に在籍、外野手としてプレイしていました。
1984年には、副主将として春と夏の甲子園で準優勝という素晴らしい成果を上げました。彼の1学年下には、後にプロ野球で大活躍する清原和博や桑田真澄がいました。
社会人野球で活躍
高校を卒業した後、岩田氏は社会人野球のチーム、三菱自動車水島に所属しました。彼の社会人野球での成績は、22試合出場で打率.333、6本のホームラン、13打点というものでした。
阪神タイガースに4位指名で入団
1988年、プロ野球のドラフトで阪神タイガースから4位で指名を受け、プロ入りしました。彼は元々外野手でしたが、強い肩を持っていたため、捕手として指名されました。
岩田徹さんの嫁と息子
岩田徹さんは、阪神タイガースで活躍していた時に結婚されています。
奥さんの名前はのり子というかたで、一般の方のため、詳しい情報は公にされていません。
岩田さん夫妻には、悠里さん、祐幸さん、凌さんの3人の子供がいます。
岩田祐幸さんは、父・岩田徹さんが監督をしていたレッドスターベースボールクラブの出身で、広陵高校時代には有原航平投手や福田周平選手とともに甲子園にも出場しています。。
息子岩田凌さんはボートレーサー
岩田徹さんの息子 岩田凌さんは2022年5月20日住之江競艇場でボートレーサーとしてデビューしています。
岩田凌さんは、子供の頃から野球をしていましたが、高校時代の先輩である佐々木完太選手の影響を受けて、ボートレーサーの道を選びました。
岩田 徹氏 初ヒットは巨人桑田真澄 乱闘騒ぎを押さえる面も
岩田徹氏のプロ入り1年目、1989年には開幕から一軍のメンバーとしてプレイしていました。その年、彼はプロとしての初めてのヒットを記録しました。
そのヒットは彼の高校の後輩である巨人の桑田真澄から放たれました。
乱闘騒ぎを押さえる
岩田徹氏の特に注目すべきエピソードとして、1989年5月31日の対ヤクルト戦が挙げられます。
この試合中、岩田の同期で新人の渡辺伸彦がヤクルトの選手、ラリー・パリッシュに対して死球を与えました。この死球をきっかけに、両チームの選手たちの間で乱闘騒ぎが発生しました。
乱闘の最中、岩田徹は捕手としてのマスクを被ったままで、ラリー・パリッシュを抑える役割を果たしました。
彼はパリッシュを必死になって制止し、さらなるエスカレーションを防ぐ役割を果たしました。このエピソードは、岩田の勇敢さやチームを守る姿勢を示すものとして、多くのファンや関係者から評価されました。
しかし、その後は一軍での出場機会が減少し、ファームでのプレイが主となりました。プロでのキャリアの後半は、代打や外野手としての出場が増えました。1998年にはプロから引退しました。
岩田 徹氏の阪神タイガースでの通算成績
阪神タイガース通算:6年間で58試合捕手として試合出場
打率:.172
出塁率 .209
守備成績 盗塁阻止率 .273
となっています。
岩田 徹氏引退後
引退後、岩田は少年野球チーム「レッドスターベースボールクラブ」の監督を務めたり、野球道場を開いたりと、子供たちの野球教育に力を入れてきました。
また、履正社医療スポーツ専門学校で講師として教える一方、同校の硬式野球部のコーチも務めました。2022年1月には、大阪偕星学園高等学校の野球部の監督に就任しました。